(前回のお話はこちら)
男子部の「部活」に参加してみたわたし。
「部活」という名前から想像していた激しい会合とは異なり、
人それぞれの活動のペースを認め合う温かい場所なのでした。
マイペースに学会活動をする
それからはたまにですが、部活に参加することがありました。
ただわたしの活動はやはりマイペースなもので、基本的には月に1度の座談会や本部幹部中継に参加して、地域の人たちと交流をするというレベルのものでした。
また、社会部の集まりにはあまり参加できませんでしたが、中野さんからは時折ご連絡をいただきランチをご一緒することがありました。
このような形で、「できる範囲で参加・活動している」という状況でした。
仕事と育児が優先であって、熱心な創価学会員のような「創価学会の活動を中心に置いた生活」、「信心根本の生活」には程遠い状態でした。
ただ、わたしとしてはそれくらいのペースが心地よかったので、特段それ以上を求めてはいませんでした。
仕事と育児もうまくまわりだす
そんな感じでゆるく創価学会の活動をしているころ、仕事は復帰して数ヶ月が経っていました。
当初は不安を抱えたスタートでしたが、あまり負担の大きくない範囲からスタートさせてもらえたこともあり、順調に復帰することができていました。
もちろん周囲の配慮やサポートがあってのことですが、数ヶ月もすると自身の体感値としては病気以前と変わらないレベルで仕事をこなせるようになってきました。
むしろ、これまでの経験が活かせる分野の仕事を任せてもらえたこと、育児のために早く帰るために段取りを考えるようになったことで、以前よりも短時間で効率的に仕事ができるようになっていました。
仕事を集中してやったあと、家に帰ったら帰ったで育児があるのは体力的には大変でしたが、気持ちの切り替えができることで精神的にはプラスに働いていました。
育休をとったおかげか、息子も自分によく懐いてくれて帰ったら笑顔で迎えてくれます。それが何よりの癒しになっていました。
そうして、日々忙しく過ごしている合間に学会活動に出かける。するとそこでも地域の方々が温かく迎えてくれるのでした。
気がつくと会社でも家でも地域でも心地よい居場所ができていました。
10年ぶり?人生が楽しいと思える
そういう状況だったので、精神状態も体調も非常によく、むしろ育休を取る前よりも生き生きと元気になったと感じます。
ホンの少し前まで、お母ちゃんの前で「死にたい」と泣いていた自分がいたと信じられないくらいでした。
少し大げさかもしれませんが「生まれ変わった」ように毎日が生き生きとするようになりました。
大変だったはずの仕事でも、「明日会社でこんなことしよう!」、「会社に行くことが楽しみだ」なんていうふうに考えることが増えていきました。(サラリーマンでこんな気持ちになるとはびっくりでした)
大げさではなく、ここ10年間で一番「充実した」状態だと自覚するようになったのでした。
(今考えると、創価学会でいうところの「功徳」があったのかもしれませんね。。。)
渡辺さんから連絡が入る
こうして仕事も育児も(マイペースな)学会活動もうまくまわるようになっていたころ、
渡辺さんから「折り入ってお話がある」という連絡が入りました。
「戦い」の時期ではなさそうなので、全くなんの話かわからないまま、
渡辺さんのお話しを聞くことになるのでした。
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