【入会後3部:第9話】男子部大学校での研鑽の日々

(前回のお話はこちら

人間革命を読んで創価学会の世界観を理解し始めたわたし。

そのころ、男子部大学校での会合も平行して行われていました。

山田さんや渡辺さんがわたしの所属する地域の男子部大学校に(サポート側として)いらっしゃることもあり、
わたしもあまり緊張せずに参加することができました。

会合といってもビデオを見たり、誰かの発表を聞いたりすることが多かったのですが、
その中でいくつか印象に残ったものがありました。

ディスカッションする

何度か、大学校の参加者でディスカッションをする機会がありました。

参加者は大学校生だけではなくて、それをリードしてくれる男子部の幹部の方もいます。
その人たちを交えてディスカッションする機会があり、大学校生がテーマを設定して良いと言われたので
以前から気になっていたことをテーマにしてみました。

ズバリ「願いがかなわない時にどう考えるか」「死をどうとらえればよいのか」ということです。

わたしは問いの背景は以下のようなものです。

  • この信心を通じて宿命が転換する、人生が良くなると聞いている
  • しかし、例えばなりたい職業があって、必死に祈ったけどなれなかったとか、目標について必死に祈ったけど叶わないということもあると思う
  • その場合によく聞く話は「まだまだ信心が足りなかった」という理解と共に、そこから一層頑張って改めて信心と目標への努力を重ねて、何年かして夢や目標を叶えるケース
  • 「あの時、目標がかなわなかったからこそ、(より研鑽を積んで)今の自分がある」というように当時の無念を正当化するような捉え方をよく聞く
  • これはこれでわかるのだけれど、そうすると人の死についてはどう考えればよいか
  • つまり、自分や家族、友人が病気などで、その回復を祈っていたにも関わらず、亡くなってしまったとき、どのように整理するか。他の目標のように「あの時XXだったけど、今思えばよかった」というふうにはできないはず
  • しかし、実際にこのような例はあるはずで、そのとき学会員はどのように考えればよいのだろうか

という話をテーマにしました。

男子部の幹部の方からバシッとした意見を聞けると思ったのです。

これをある男子部の幹部はこのような意見を述べました。

  • たしかに祈ったにも関わらず、お亡くなりになることはある
  • しかし、その悲しみも学会の同志と一緒ならば乗り越えていけると思う
  • けして祈ったことは無駄ではなく、学会員のような温かい人たちと一緒に悲しみに立ち向かうことはきっと意味のあることだと思う

というような話がありました。

正直、わたしはこの回答にはあまり納得できませんでした。

たしかに、家族や友人を亡くした時に学会員が支えになってくれたという話は非常にたくさん聞きます。

わたし自身、おかあちゃんの知り合いでそういう方を見てきましたし、事実そういう方々は学会員のよりその悲しみを乗り越えているように見えます。

だから、幹部の方がいう話はたしかに実際的にはそういうことが大事なのだと思います。

でもわたしが知りたかったのは、

「祈っても叶わない」ということに対してそれをどのようにとらえればよいのか。
仏法的な解釈はどうあるのか?

ということを知りたかったのです。

なので、男子部幹部の方のお話はそれはそれで一つの重要で実際的な意見ではあるのですが、仏法的な解釈ではどのように捉えるかという私の疑問には応えていませんでした(そこまで私も聞けなかったのですが)

ただ自身の思うところとは少し食い違いましたが、こういった疑問にも真正面から真摯に自分の意見を話してくれる幹部の方や先輩学会員たちがいることは改めてありがたいなぁと感じたのでした。

ちなみにこの問いは、その後人間革命を読んでいく中んで、何名か登場人物が亡くなるシーンがありその時の描写や記載で一部納得するところがあったのですが、それはまだもう少し先の話です。

先輩たちの話を聞く

他に男子部大学校の活動で印象的なのは、紋切り型の聴講形式ではなく、
大学校生や先輩学会員の個々人と色々と話す機会があったことです。

普段はあまり接点のない層の人たちと、深い話ができることに意味があると思いました。

例えば、わたしは普段は民間企業のサラリーマンなわけですが、
男子部大学校には、公務員や自営業の人たち、民間企業でも全く業種の異なる方もいます。

自分のお店を切り盛りする自営業の方々とお話したり、
他の人の職場で起こっているいろんな悩みを聞いたりすることは、すごく視野が広がりました。

その中でも、教育関連のお仕事をされている方の話は印象的でした。

彼は創価大学出身なのですが、
入学当時は単に寮があって偏差値が自分が入れる総合大学ということで創価大学にはいったそうです。

その当時は入学式の時に池田先生がスピーチしていたようで、
池田先生をみた(熱心な学会2世と思われる)同級生が感動で涙を流しているのを見て

「なんてやばいところに入ってしまったんだ」とドン引きしたとのこと。

そんな感じなので、当初は熱心に学会活動に取り組むことはなかったのですが、
そのうち友人関係をもつ大学の先輩の学会員に出会い、それがとても良い人だった。
そしてだんだんと惹かれるようになり活動をするようになってきたという感じの人でした。

結局今では幹部になるくらい熱心になっているのですが、
もともとが上記のような人なのであまり暑苦しくなくて話しやすい人でした。

そこで色々と世間話をしていたのですが、話を聞いていると、
この方は見た目の印象とは異なり、心に熱い思いを秘めていると感じました。

教育現場では、ニュースになっているような虐待などの悲しい出来事も起こります。

お話を伺っていると、それらの事象に対して、真剣に立ち向かい子供を守ろうとしている態度が言葉の節々から滲み出ていました。子供たちを思う気持ちを聞いていると頭がさがる思いがしました。

すごい人だなと思うのと同時に、わたしも子供がいる身としてはなんだか他人事と思えず、
信心とは関係ありませんが熱い話になりました。

その結果、「けいすけさんは、熱い心のもちぬしですね」「(話していると)心が震えるっていう感覚がありましたよ。」なんて言われました。

(いやー、わたしはこういう気の抜けたブログ書いている人間なのですが、、、)

彼が言っていた言葉でとても印象的なのが、

「学会に入ってなかったら、自分はこんな風に熱くなったり、心が震えるっていることがなかったと思う」
「自分は何の感動もない人生を歩んでいたように思う」

といっていたことです。

前述の通り、その方は見た目は穏やかな人で、そんなに熱い感じの人ではありませんでした。
もしかしたらご本人のいうようにもともとは冷めた人なのかもしれません。

だから学会に入ってなかったら今のような熱い人にはなっていないのかもしれません。

学会に入ったから熱い気持ちになるのか、もしくは熱い気持ちを持っている人が入ってくるのかはわかりませんが、いずれにしても、人生に何か熱いものが足りないなぁ、という人は創価学会に入ると良いのかもしれません。

学会はたしかに暑苦しい面がありますが、みんながみんな表面的に暑苦しいわけではなくて、
内に秘めたものを持っている人も多いのだなぁと感じるエピソードでした。

こんな感じで、杓子定規な勉強というのではなくて、
色々な方々とお話する中で信心に限らず、新しい視野が開けたり、普段は交流の無い方と人間関係が広がったのが
男子部大学校の良さだと思ったのでした。