創価学会員はなぜ嫌われてまで選挙応援をするの?気持ち悪いと思われるのは嫌じゃないの?

いつもお読みいただきありがとうございます。管理人のけいすけです。

いよいよ選挙の季節が近づいてきました。
今回はなぜ創価学会員は(公明党の)政治活動や選挙応援を頑張るのか書いてみたいと思います。

そもそも「宗教団体が政治活動を行うことは政教分離の憲法に違反するのではないか」というよくある疑問についてはこちらで答えておりますのでご参照ください。

結論は宗教団体が政治活動を行うことは問題ないとされています。

さて、それで問題ないことはわかったけれど、
どうして創価学会の人は選挙のときに頑張るのでしょうか。

創価学会員も政治活動や選挙応援に抵抗ある人はいる

そもそも普通の日本人は政治活動とか選挙応援の活動って、
結構抵抗ありませんか?

普通に真剣に政治の話をするだけでも、なんか暑苦しい人だなと思ったり、
ましてや選挙の応援とかやりだすといよいよヤバい人だと思ったりしませんでしょうか。

そんな日本ですから、当然必死に政治活動や選挙応援をする創価学会員に対して不思議に思ったり、
「気持ち悪いな」と思われる人もいるかと思います。

では創価学会員は選挙応援することに抵抗がないのでしょうか。

「創価学会員は面の皮が厚くて、神経図太いから全然抵抗ない」なんて思うかもしれませんが、
実は多くの人が結構抵抗あると言ってます。

悲しいかな、現代日本では政治や選挙の話を友人知人にすると、
ヤバくて気持ち悪い人と思われたり、嫌われて避けられることもありますよね。

創価学会員も普段普通に社会生活を送っている市民なので、
当然友人知人にそう言った態度を取られるとものすごく辛いわけです。

なので選挙の時期は「いやぁ憂鬱ですよね」という学会員は多いと思います。
特に熱心な学会員ほど選挙も頑張るので、今年は選挙Yearなので年中憂鬱かもしれません、、、

しかし、そんな憂鬱な気持ちと「戦い」ながら選挙応援をしているのが実態だと思います。
じゃあなぜそんな思いをしながら、政治や選挙応援に邁進するのかということを書いてみたいと思います。

日蓮の立正安国論という考え方

創価学会員がなぜ政治活動・選挙応援を頑張るのかについて、
まずすごくそもそも論のところからお話ししたいと思います。

創価学会の教義の基礎にある日蓮仏法の始祖である日蓮(日蓮大聖人と呼称)には
「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」という考えがあります。

立正安国論とは、日蓮が時の政府の実力者である北条氏に対して送ったとされる書簡であり、
その政治の在り方をいさめた内容です。

当時は「南無阿弥陀仏」ととなえる念仏仏教が流行っていましたが、日本中で飢饉や災害が多く起こっていました。日蓮はその原因が間違った仏法を国が広まっているせいだとして、正しい仏法である正法すなわち「南無妙法蓮華経」を広めて、それに基づく政治をしなければならないと北条氏に諭した内容です。

ちなみにこの立正安国論は、客人とお坊さんの対話形式で描かれています。
最近の自己啓発本も対話形式のものが多くありますが、鎌倉時代からあったんですね。
(考えてみれば、お経も「仏に問いをなげて応えてもらう」という体が殆どなので、
この形式は時代を問わず万国共通で有効なのですね。

詳しい内容は割愛しますが(というか私もまだまだ勉強中)、
つまり「世の中をよくするには政治に関与する」ということを始祖である日蓮もやっていたわけで、
お祈りすれば終わりではなくて、実際に世の中をよくするためのアクションを行うことが必要とされており、
政治はその中の大変重要な項目であるという考え方が創価学会の根元にあります。

ただここまで意識して動いている創価学会員は幹部クラス以上の方々だと思います。
根底にはそういう成り立ちがあるけれど、ほとんどの一般創価学会員はこういう話はなんとなく知っているくらいでそれよりも後述の公明党との関係や「功徳」という考え方が頑張る理由として大きいように思います。

公明党の成り立ち

上記のような日蓮の立正安国論の考え方に加えて、
こちらの記事で書いたように第2次世界大戦において「日本を壊滅に導いた原因が国家神道という誤った宗教である」ということを強く心に刻んだのが創価学会第2代会長の戸田城聖さんであり、公明党の基になる組織を作ったひとです。

これも以前書いたので詳細は割愛しますが、
初代会長であり自身の師匠である牧口常三郎さんを殺したのも、
「誤った宗教におかされた」軍部政府であったと戸田さんは考えます。

「誤った宗教を信じるほど人を不幸にすることはない。だから正しい宗教を広めよう」と心に誓うという話です。

彼は理系の人であり、複数の会社を経営する事業者でした。
一般的な宗教にありがちな観念論に陥ることなく「実際に世の中をよくする」ために様々な
アクションをとっていきます。

その中の一つには当然政治分野への進出もあったわけです。
このあたりの創価学会と公明党の成り立ちの関係についてはこちらに記載しております。

このような思いを第3代会長の池田大作さんが引き継いでいますし、
多くの創価学会員も共有しています。
なので公明党を応援する=正しい世の中をつくっていくという考えに繋がっていると
考えられているところがあります。

これが創価学会員が政治活動、選挙応援で公明党を必死で応援する理由の大きな1つです

(無批判に公明党を応援する学会員に対して、「自分の頭で考えていない!」という批判があるかと思います。そういう人がいるのも事実なのですが、妄信的に信じていたとしてもそれが良いものであれば人々は幸せになる、という考え方もあるのかと思います)

自分の功徳のため

さてこれまでは日蓮や歴史の話などなんだか大きな話になりましたが、
最後は「自分のために頑張っている」というお話しです。

創価学会では折伏(しゃくぶく)といって、友人知人に仏法を話して、創価学会に入会してもらう行為をとても大切にしています。
一方で折伏に限らずに、仏法的な世界を広げていくこと=広宣流布(こうせんるふ)のために活動することを全て大切にしており、これらのために戦う人たちは最も幸せになるべき仏法者であると考えられます。

そのため政治活動や選挙活動に邁進すること自体が、
創価学会員にとっては広宣流布のための闘いという一面があります。
もちろん世のため人のためになる政治を実現するという大義があったうえでの話ではありますが、
その結果、広宣流布に邁進する自分自身に「功徳」があるという考えです。

池上彰の選挙特番などで「F票(フレンド票)」をたくさん獲得しているという創価学会員(だいたい婦人部のイメージがある)が映し出されて「功徳のためやで!」なんて話をするのはそういった背景があります。

ただ、自分だけが幸せになりたいというよりも、
心から公明党の政治信条が実現すれば日本がよくなると信じている人が多いように思います。
そのうえで活動自体が功徳を生むという考え方だからこそ、周囲の人からみれば「なぜそんなに頑張れるのか」というくらい、必死に頑張れるのだと思います。

(昔書いた「随自意(ずいじい」の考え方によって、自分が良いと信じることをしっかり人にも勧めていくことが教えとしてあリます⇨関連:創価学会員に強引に入会勧誘を受けた人へ

その姿を「気持ち悪い」という人もいますが、

世のため、人のため、そして自分自身のため!

といういう全ての方向によい影響を与える行動を貫いているということだと思います。

嫌われることも仏法では必然と考える

また、嫌われたり、気持ち悪るがられるということすらも仏法的には必然的に起こっていることと考えます。広宣流布のために戦うのはいいことなのに、友人に嫌われたり辛いことがあるのはどうしてだ。功徳があるのではないのか!

と思う人もいると思います。

しかし、日蓮は迫害を受けて島流しにあったり、打首寸前まで行ったし、代々の会長も大変な思いをしてきました。仏法を実践して広めようとする人にはそうした活動を妨げようとする働き「魔(ま)」や「大難」が生じると言われておりまして、そう言ったものと「戦う」こと自体がとても功徳を得られる行為だと捉えられています。
(スーパーポジティブですよね。。。)

ただほとんどの学会員は本部職員でもない一般人なのでそういう気持ちにいつでもなれるかというと難しいですよね。一部の熱心な人は身を削って頑張っていますが、多くの学会員は自分にできる範囲で無理なくやっているレベルと思います。(私もそんな感じです)