創価学会って北朝鮮みたいな雰囲気なの?と聞かれる(少し気持ちが離れた時シリーズ1)

いつもお読みいただきありがとうございます。管理人のけいすけです。

今回はコロナ下で学会活動が少なくなり、少し気持ちが離れていた時に感じたことを書いてみたいと思います。

第一弾は「創価学会って北朝鮮みたいな雰囲気」と知人に言われた時に感じたことです。

少し気持ちが離れていた時に地元知人と話す

わたしはもともと関西出身で就職を機に東京きています。地元関西が好きですし、親族のつながりも強い家系だったので、よく帰省しては親族や知人に会っていました。

それがこの2年ほどは、コロナ下で緊急事態宣言やら何やらで中々帰省ができずにいました。

あるとき、緊急事態宣言もあけ、コロナも一瞬落ち着いた時期がありました。

すかさずそこで久しぶりに帰省して、地元知人とお話した時のことでした。

その人はわたしのお母ちゃんが熱心な関西婦人部であることをよく知っていて、
「お母さんは面倒見がいい人だよね」と常々言ってくれていました。

また、「学会員の人たちも一般の信者さんたちは本当にいい人たちだよね」と言ってくれてました

しかし「でも、何ていうか、熱心な人ほど、池田先生万歳!みたいなのが違和感があって。なんか北朝鮮みたいに感じるいうか。。。」と学会の雰囲気に違和感を感じているとも言ってました。

自分の変化を感じる

この指摘自体はまあよくある話なんだと思うんですけど、この指摘で気がついたのが、「自分の感じ方も学会との距離感で変わる」んだなということでした。

というのは、この指摘に対して、この時期に少し学会と距離が出来ていた自分は「あー、わかるわかる」と結構実感を持って感じたんです。

元々わたしは「熱心な学会員」という感じではなかったのですが、入会から数年がたち、コロナ前までに少し活動ぽいこともやっており、結構学会色がついていたとおもいます。

それで入会の最初のことは、「創価学会は北朝鮮ぽい」というニュアンスもよくわかったのですが、男子部の集まりやら、選挙戦やらをちょこちょこ見るようになって、だんだんとそのあたりの感覚が変わっていったように思います。

それが、コロナ下で中々活動に参加できずに、久しぶりに座談会とか、選挙の話とかに参加した時に「戦いだ!」とか「新聞啓蒙が何部」みたいな話を聞いて「あ、なんか宗教ぽい」(宗教ですよね笑)と久しぶりに「違和感」みたいなのを感じたんです。

ちょうどそんなことを感じていた時期だったので、今その地元知人の「北朝鮮ぽいよね」と言われて、「あ、そうそう!」と改めて感じる自分がいました。
もともと感じていた違和感を感じにくくなっていたこと、そして、少し離れて見ると再び違和感を感じていること、そういった自分の変化を感じたんです。

関わる距離感により感じ方も変わる

宗教に限らず、職場とかでもそうかも知れませんが、最初は違和感を感じていた雰囲気とかルールも、慣れてくるとそれが当たり前になって、だんだん気持ちよくすらあることってあると思うんです。

で、異動したり、転職したりして、その場を離れてみるとまた感覚が変わる。

こういうことが、宗教でもあるんだなと、何だか納得したのでした。これは「学会と距離が出来ていた」から感じたことなんだと思います。

これって、結構大事な気付きだとも思うんです。ずっと学会の中にいると、その雰囲気が当たり前になって、外部の人が感じる違和感を感じられなくなるという。ただ、お母ちゃんみたいにとことん創価学会を信じ抜く、という姿はそれはそれで清々しく、また心から幸せそうで。それはそれで良いことな気もしており、正直悩むところです。

ちなみにこの時知人には「そうだよね。すごいわかる。自分もそう感じる時ある」という話と共に「ただ、多分そう言われているほど、ゴリゴリでもなくて、マイルドな人も多い」、「少しかじってみてわかったことも結構あって、例えば人間革命って名前の本は読んだことない人からは、宗教倫理が書かれた洗脳本みたいに思ってると思うんだけど、あれ、戦後の話から始まる歴史小説みたいなタッチの本だったりするんだけど、みんな知らないよねー」

みたいな話をして「へー、そうなんだ」という感じで知人も少し印象を変えてくれたようでした。