(前回のお話はこちら)
山田さんに家にきてもらって助けてもらっていたわたしですが、このころ助けくれたのは山田さんだけではありませんでした。
家族に支えられる日々
家族にはすごく支えてもらいました。
嫁はすでにお腹が大きく、実家に帰っていました。あまり心配をかけてはいけないはずなのですが、電話で話して励ましてくれました(本来逆ですよね)
嫁にばかり話をしていては胎教に悪いので、特に話を聞いてくれたのが姉でした。
姉は学会員ではないですが、昔からよく私の面倒をみてくれました。
姉も子供が小さいため、忙しいはずなのに、私の話を延々と電話で聞いてくれました。
抗不安薬を飲んでいるころは、突然不安の波がやってきて、いてもたってもいられなくなる症状が続きました。
そうすると布団に潜り込んで、ひとり震えていました。
それでもどうしようもなくなると、姉に電話して自分の不安を聞いてもらうのでした。
30分〜1時間ほど話すと落ち着いてきて、しばらく大丈夫になります。
しかし、時間が経つとまた不安が押し寄せてきて姉に電話をします。
1日に何度も姉に電話をしては、励ましてもらいました。すごく感謝しています。
あるとき私が「姉ちゃんが姉ちゃんでよかった」と話したら、「私もあなたが弟でよかったと思っているわよ」と言ってくれました。
その頃自分になんの価値も無いのではないかと思っていた私にはすごく響いた言葉でした。
この時期、姉には本当に支えてもらいました。
母のお守り御本尊様に向かって勤行する
母もこの時期には特に積極的に関わってくれました。
現役で仕事をしているので、忙しい日々を過ごしているのですが、
それでも2週間に1度程度は関西から東京にきてくれました。
ひとりで過ごしている中、母がきてくれることはすごく支えになりました。
あるときは不安の波が押し寄せてきて、30過ぎた男が泣きながら「死にたい」と母親の前で口走るようなことがありました。
母は「それだけは絶対にダメ。絶対によくなるから大丈夫」とずっと励ましてくれました。
母にとっても私の病気に打ち勝つことが、自身の目標になっていたようです。
学会員の言葉でいうのであればこの「宿命」を信心で乗り越える。「宿命転換」させることができると確信していたのだと思います。
母が家にきてくれた時に、自分のお守り御本尊様を持ってきてくれました。
母のお守り御本尊様に向かって二人で勤行をしました。
母と唱題をしていると、思春期になって学会に疑問を持つ前は、こうして二人で南無妙法蓮華経と唱題してから寝ることもあったな、とどこか懐かしくも感じました。
不思議と心が落ち着いていきました。
私にとっては「南無妙法蓮華経」の功徳である!というよりも、わらにもすがる思いというのが正直なところでした。
なんでもいいから頭の中で繰り返す負の思考回路を抜け出すような対象が欲しかったように思います。
とにかく、余計なことを考えずに南無妙法蓮華経と唱え続けることが、わたしのグルグル繰り返す不安や焦りの負の感情を少し、しずめてくれていたように思います。
母は私がひとりでも勤行できるようにお守り御本尊様を私の家に置いていってくれました。
わたしは入会するまでは母のお守り御本尊様に向かって、勤行をするのでした。
(入会理由の続きこちら)

