(前回のお話はこちら)
親族に唯一いた学会員とは。
身近にいた唯一、しかし、熱心な学会員の親族とは母でした。母は10代の頃に入信してからずっと学会員を続けてきました。
役職こそもたなかったものの、地域の中では精力的に活動を行い、私が物心ついたときには聖教新聞の配達もしていました。
創価学会キーワード:聖教新聞
| 創価学会の日刊機関紙である新聞です。(以下wikipediaより) 朝刊のみの発行。夕刊は発行していない。発行部数は公称550万部。「聖教」は釈迦の説いた一代聖教に由来する。同紙を出版している聖教新聞社は、宗教法人創価学会の機関紙発行・出版部門であるため、法人格がない。 |
前回書いたように、物心ついたころには母に連れられて月に1回程度「座談会」に参加していました。といっても、大人たちがなにやら話している横で、遊んでいるだけでしたが。
そして、思春期になると座談会に私は足を運ばなくなります。(なお、改めて書きたいと思いますが、父をはじめとして家族は全く学会活動には参加していませんでした。)
大学生になったわたしに母が聖教新聞をすすめる
時は流れ、私は大学生になり家からでて一人暮らしをすることになりました。
そうすると、母が私の一人暮らしの部屋に新聞をとるというのです。
そう「聖教新聞」でした。
アンチではなかったのですが、「聖教」なんて大それた名前をつけた新聞には抵抗がありました。
それに、これから大学で視野を広げようとしているときに、入ってくる情報が偏るのではないかと心配にもなりました。
多くの日本人がそうだと思うのですが、私は宗教にこだわりはありませんでした。特に嫌いでも好きでもなく、クリスマスはパーティーをするし、お正月は神社にいきます。
ただ自身が特定の宗教をやる、ということについては強い抵抗がありました。
何か特定の宗教にこだわってしまうことで、自身の幅を狭めてしまうような気がしていました。
そして周囲の人にも「あの人は聖教新聞をとる熱心な学会員」と見られるのではないか、そうなったら交友関係が狭くなるのではないか、と考えて断りました。
しかし、母は試しに1ヶ月だけ!!
といって、私の住所で申し込みを行いました。
結局、大学生になると同時に聖教新聞が一人暮らしの部屋に届くようになります。
しかし、仰々しい一面の見出しに、引いてしまいました。
例えば本日2017年10月1日の聖教新聞の一面の見出しは、
「開拓の精神で限界の壁を破れ!」
とあります。これは比較的ましですが、やはり朝から暑苦しい感じは否めません。
また、時にはより激しい言葉や、特定の人物を崇めるような(当時の私にはそう見えてました)言葉も並びます。
結局、ちらっと表紙を見て、生理的に無理だと思った私は、一度も熟読することはありませんでした。
(入会理由の続きはこちら)
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