大学校の活動にそれなりに関わっていた私。
イベントの準備に会合が費やされるのに違和感を感じた時もありましたが、
出来上がったイベントに参加してとても感動したのでした。
仕事で良いことがある
話は前後するのですが、大学校に入校して少しした頃、仕事面でちょっとしたイベントがありました。
年功序列と終身雇用が崩壊した世の中ですが、やはり日本企業にはまだまだ年相応に役職を与えていく文化があります。アラサーの私もそろそろ昇進の時期を迎えていました。
ただ、かつて心身を壊したこともあるし、育児休職とはいえ半年間も休んだ身です。
当然昇進できなくても当たり前くらいに考えていたのですが、
結果的に同期と比べても特段遅れることなく、昇進することになりました。
たまたまかもしれませんが、そのことを知らされたのは大学校に入校して1ヶ月ほどしか経っていない時期でした。
今思えばこれが「大学校に入校した功徳」だったのかもしれません。
大学校入校の功徳、初心の功徳
創価学会では信心をする中で起こった良いことを「功徳(くどく)」と呼びます。特に入会して御本尊を安置してから初めておこる良い出来事を「初心の功徳」と呼んでいます。
「始めたばかりの人に良いことが起こる」、いわゆる「ビギナーズラック的な現象」
だとイメージしてもらえればわかりやすいと思います。(それが必然的に起きると考える)
この入会してすぐにおきた良いことの印象が強いと、当然創価学会への思いが強くなります。
私の場合は入会したのち、結果的に無事会社に復帰できるところまで体調が回復したということもあり、
この入会時の初心の功徳は強い方なのだと思います。(そんな風に山田さんに言われたこともあります)
また創価学会では「折伏」など学会の重要な活動にアクションを起こすことも大きな功徳を得られる行為とされています。
選挙の時に公明党の応援に一生懸命になるのは世界を良くしようという思いと共に、巡り巡って自分の「功徳」を積むためという面があります。
このような考え方によると、今回の私の昇進は「大学校に入校して活動していることに対する功徳」という理解をするのが正しいのかもしれません。
ただ昇進を告げられた時にはすぐにひもづくことはありませんでした。
大学校で功徳について話す
その後大学校の活動をする中で「入校してから良いことがあった人!」なんていう質問があり「あ、そういえば昇進したな」と思ってお話しました。
当然「それはすごい功徳だ!」という感じの反応をいただいて、結構盛り上がりました。なるほどこういうのを「活動による功徳」と考えるのだと実感しました。
この時、他の学会員さんが笑い話としてこんな話をしてくれました。
「僕も最近良いことがありまして。給料が増えて欲しいなと思って祈ってたら、本当にこの前のボーナスが増えたんです。」
「これには(未入会の)嫁も喜んでくれたんですけど、ほら祈った通りになった功徳だ!と言ったんです、そしたら。。。」
「「ボーナス増えたのは嬉しいけど、それと学会のことを紐づけるのはマジやばい」とドン引きされまして。。。」
と話してくれました。
確かに一般人だとそういう反応だよね笑と盛り上がりました。
正直いうと私もこの時はまだ大学校が始まったばかりで、人間革命なども読んでおらずまだまだ一般人の感覚?だったので、「それはやばい」とまでは思わなかったものの、自分の昇進も含めて「功徳だ!!」と絶賛するというよりも「ちょっとしたあるあるネタ」のように話していたのでした。
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