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聖教新聞(大白蓮華)の購読について考える(入会後1部:第8話)

2018年5月14日

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(前回のお話はこちら

息子を座談会に連れていって地域の学会員の皆さんに紹介したわたし。お世話になった方々にやっと直接息子を見せることができてホッとしました。

ヨメ子も特に気にする様子はなく、無事皆さんへの顔合わせは終わったのでした。

座談会へ息子を連れて行ったのはこの1回だけで、それからはまた、いつも通りわたしだけが会合に参加するようになりました。

座談会や会合に参加することについては(育児のタイミングさえ整えれば)、特に文句は言われないわたしですが、もうひとつ懸念していることがありました。

「聖教新聞の購読」です。

周囲の人に借りて過ごす

これまで聖教新聞と大白蓮華を購読していませんでした。

座談会ではよく大白蓮華に書かれている御書の一説が勉強の材料になります。

購読をしていないわたしにはいつも会場の御宅の方や周囲が貸してくれていました。

特に購読を急かされたりはしなかったものの、やはり自分としては「いつまでも借りてるのは格好悪いよなぁ」とは思っていました。

また、わたしが聖教新聞を購読していないことを知っている地域の方は、

「けいすけさん、これ今日の聖教新聞だからどうぞ」と座談会で会った時に渡してくれました。

社会部の中野さんとお会いした時も時折「参考になる記事があったからわたすよ」と過去の聖教新聞の記事をわたしにくれることがありました。

中野さんは気に入った記事があるととっておくそうで、わたしにお渡し頂いた記事の中には「うつを克服した家族」というようなまさにわたしのために選んで頂いた記事が沢山ありました。

活動の中で強引に新聞の購読を勧められることはありませんでしたが、座談会や普段の学会員と交流していると「読んでいることが前提」となる話も結構あるので、自然と目が向くようにはなっていました。

新聞購読についてあれこれ考える

ただ、これもやはり家族の意見が気になりました。

入会理由シリーズの初期のころに書きましたが、わたしは大学時代にお母ちゃんが聖教新聞を勧めてくるのを嫌がり、一人暮らしの部屋に勝手に購読された時にも全く読みませんでした。

読むことで自分の考えが偏っていくのないかという心配と、何よりも周囲の人に「聖教新聞を取っている=熱心な創価学会信者」と見られるのではないかと懸念したからです。

わたしの活動自体には反対をしていないヨメ子も、新聞を購読するとなるとポストへの投函があるわけで、このような抵抗をもつことは容易に考えられました。

それにわたし自身も入会して、会合にも参加しているものの、どちらかというとそれは地域や社会部の皆さんの温かい雰囲気が好きだし、自分が勤行・唱題していて落ち着くからであって、

「池田先生の教えに従います!」とか「創価学会を世界に広めます!」みたいなそういう強い気持ちがあるわけではありませんでした。

なので、聖教新聞には自分の参考になる記事があるとは思うものの、一面にならぶ創価学会ならではの雄々しい言葉(こういうの)にはやはり少し引いているところもあったと思います。

そんなわけで即決はできず。しばらく考えることになるのでした。

(続きはこちら