(前回のお話はこちら)
長期の育休から職場に復帰したわたし。
無事に初日を終えることができて、これまで支えてくれた家族や学会員の友人たちに感謝の気持ちを伝えたのでした。
復帰して少ししたある日、わたしは職場の近くで中野さんとランチをすることになりました。
復帰したことを中野さんに報告したところ、近くに行く用事があるのでランチでもしようと声を掛けてくださったのでした。
中野さんとランチする
けいすけくん。職場復帰おめでとう。本当に元気そうになったね
ありがとうございます。自分でも驚いています。つい半年前の自分とは全く別人のような感じがします。中野さんたちに支えていただいたおかげです。本当にありがとうございました。
いやいや。何も大したことはしていないよ。何よりも、けいすけくんのお母さんの祈りの力じゃないかな。改めてすごいものだと感じましたよ。
あ、母ですか。そうですね。。。本当に母にも心配をかけました。母も中野さん達に心から感謝しています。是非東京に来た時には挨拶に伺いたいといっています。
おおー、それは光栄です。お電話でお話したときにお母さんは「確信」を持っている方だと感じました。すごい人だと思うよ。是非よろしくお伝えください。
こんな調子で、親しくお話していただいているのですが、まだ中野さんと出会ってから1年も経っていませんでした。
それでもわたしの復帰を自分のことのように、心から喜んでくださいました。
中野さんに支えてもらった日々
思えば、中野さんには復帰までの間、何度もお話を聞いていただきました。
体調が悪いころのわたしは不安な気持ちを延々と述べるだけでした。
中野さんはその話を優しく根気強く聞いてくれて、焦らずに、一歩一歩進んでいこうと励ましてくれました。
「薄皮を剥くように、少しづつ、少しづつ良くなるから」
そんな風に励ましてくれたのでした。
中野さんは、「とにかくお題目をあげれば何でも解決する」というような言い方をすることはありませんでした。
しっかりとお医者さんの話も聞いた方が良いよ。
こんな人の話が参考になるよ。
と、具体的ですごく真っ当な助言をいただいていました。
その上で「僕もみんなもけいすけくんのことを祈っているからね。お題目が力になるよ。」と寄り添うようにお話してくれました。
時にはこんな言葉をかけてくれました。
休み休みしか仕事ができない状態ですっかり自信をなくして「自分は社会人として失格なんじゃないか?」なんて悩んでいたわたしに、
「仕事でいろんな人に会ってきたから、人を見る目はそこそこあるつもりだけど、
けして、けいすけくんが周りの人と比べて見劣りするなんて思わないよ。
例えばうちの会社に来たって活躍できる場所がいっぱい思い浮かぶよ。大丈夫だよ。」
なんていう風に、励ましてくれたのでした。
もちろん弱っているわたしを励まそうとして考えてくださったお言葉だと思います。それでも当時は本当に心の支えになりました。
だからこうして元気になったことを報告ができて、わたしとしても本当に嬉しかったです。
小さいときにお母ちゃんに教えてもらったこと
わたしは、復帰後も特に問題なく過ごすことができました。
これまでの経緯を「全て創価学会のおかげ!」というつもりはありません。
もちろん家族や(学会員でない)友人、知人、職場の方々に支えてもらって、ここまで来ることができたと思います。何よりも息子から本当にエネルギーをもらったと思います。
ただ、心も体も壊していたわたしを支えてくれ、一歩進む力を与えてくれたのは、中野さんや山田さんをはじめとした、社会部や地域の学会員の方々だったというのも事実です。
「辛いとき、困ったときは南無妙法蓮華経と唱えなさい。絶対に大丈夫になるから。」
そんな風に、小さなころお母ちゃんに教えられました。
思春期を境にすっかり創価学会から遠のいていたわたしですが、
「南無妙法蓮華経」がわたしを支えてくれる多くの人たちと出会わせてくれました。
もちろん色んな幸運が重なったのかもしれません。
ただそれを「貴方はラッキーだった」というのではなくて、「お母様が昔から積んできた福運が貴方を守った」という表現をする方もいました。
中野さんの言うように「お母様の祈りが通じた」という人もたくさんいました。
母や周囲の方がいたからこそ、元気になることができたと思っています。
そして、「南無妙法蓮華経」と唱えていたから、母や周囲の人と繋がることができました。
あまり信じてはいませんでしたが、昔お母ちゃんに教えられた通りになりました。
わたしはこのあともマイペースに創価学会の活動を続けていくことになります。
今回で「入会後」シリーズの第1部を「完」としたいと思います。
これから、仕事復帰後にマイペースに活動していく様子を「入会後 第2部」
として書いていきたいと思います。
(入会後第2部の続きはこちらです)