(前回のお話はこちら)
地元に帰ってきて知り合いに会ったわたし。
その中にはお母ちゃんの学会員の友人もいました。その方たちと話していて、思春期の頃とは異なる感情をもつことに不思議な気持ちを抱きました。
そんなふうに地元で過ごすなかで、家族の絆、ありがたさを実感することがたくさんありました。
両家で息子のお食い初めのお祝いをする
地元に帰って数日したころ、少し時期は遅くなりましたが息子の「お食い初め」をわたしとヨメ子双方の両親とともにお祝いすることにしました。
わたしの実家近くにあるホテルまでヨメ子の両親に来てもらい、両家でお祝いをしました。
かつてのわたしの状況をまじかで見ていたお母ちゃんは
「あのときから考えたら信じられない」と喜んでいました。
それもそのはず。わたしが倒れた時に一番心配したのも、元気に帰ってきたことを誰よりも喜んだのも、お母ちゃんだと思います。
お母ちゃんに元気な姿を見せる
かつて一番体調が不安定なときには、「死にたい」という言葉まで発していたわたし。
心配で東京まで様子を見にきてくれたお母ちゃんにそんな話をしていたこともあります。
自分にも息子ができた今、身をもって感じますが子供に「死にたい」と言われたら、親は本当にショックだと思います。
だから、当時のお母ちゃんの胸中は本当に想像を絶するものがあったと思います。
本当に申し訳ないことをしました。
そのころのわたしはお母ちゃんとご飯を食べに行っても、全部が食べられない。
途中で胸が苦しくなって、気分が悪くなって「ごめん。もう無理。家で休みたい。」と、
半分以上も食事を残して家に帰るような状態でした。
そんなわたしをお母ちゃんは「大丈夫。大丈夫。絶対なおるからな。」と励まし続けてくれたのでした。
そんな状態だったわたしが、元気になって帰ってきました。
息子をしっかりと抱っこしながら挨拶をしてまわったり、
しっかり食べることができるし、しっかり寝ることができます。
そして、ヨメ子やそのご両親と一緒に息子のお祝いまですることができるようになった。
そんな様子を見たお母ちゃんはヨメ子にこんな話をしました。
お母ちゃんとヨメ子の会話
「ヨメ子ちゃん。ヨメ子ちゃんが(妊娠・出産で)大変なときに、けいすけが倒れてしまって本当にごめんね。
そんな中でも、息子ちゃん(孫)をしっかり健康に育っててくれて、けいすけも元気になってきていて。
ヨメ子ちゃんや、ヨメ子ちゃんのお母さんには本当に感謝しています。大変な思いをさせて本当にごめんね。」
それに対してヨメ子もこんな話をしていました。
「お義理母さん。けいすけさんが倒れたこのタイミングで、息子ちゃんが生まれてきてくれたことに、わたしは意味があるんだと思っています。
この子がお腹にいるときに読んだ本にこんなことが書いてありました。
赤ちゃんは、ママとパパを選んで生まれてきてくれる。自分の意思で理由をもって、生まれてきてくれる。(体内記憶について研究している人の本だったようです)
この子は、けいすけさんが倒れていることもわかっていて、私たちを選んで生まれてきてくれたって思っています。だから全然大変じゃないですよ。」
お母ちゃん、ヨメ子の言葉に感動しつつ、ちょっと立場がないわたし。。。
最後は熱血学会員のお母ちゃんらしく、こんな話をわたしにしました。
「元気になって本当によかった。でも油断したらあかん。ここからがスタートやで。」
「わたしにできるのは、祈ることしかでけへんけど、絶対に大丈夫やから。一緒に頑張っていこうな。これ(信心)しかないからな!」
ここでも学会の話か!と思わなくもないですが、今では心強く感じます。
(わたしはこのときはまだまだ、お母ちゃんの想いの深さを理解しきれてはいなかったと思います。その後、お母ちゃんがどのような想いで祈っていたのか聞くことになるのですが、それはもう少し先の話です。)
こんなふうに、育休の後半は家族のあたたかさをすごく感じる出来事がたくさんありました。
そして東京に帰りいよいよ、仕事への復帰の時期が近づいてくるのでした。
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